真田幸村の抜け穴がある神社、三光神社

三光神社 観光
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次に向かったのが、真田幸村の像と真田の抜け穴のある三光神社。

 

三光神社

三光神社

 



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ルートは谷町筋から上町筋に出て北上するルート。安居神社から三光神社まで、徒歩50分ほどで着きました。途中で昼ごはんを食べたので、休みなく歩いていけばもう少し早く着いたと思います。

 

谷町筋の途中で後ろを振り返ってみるとあべのハルカスが。ど~んとそびえ立ってます!遠くから見るハルカスもなかなか良いです。

 

遠くに見えるのはあべのハルカス

あべのハルカス

 

近鉄百貨店上本町店を左に曲がり、真田山公園へ。真田山公園というくらいなので、真田丸っぽい跡が残っているのかな?と思いましたが、それらしきものはありませんでした。

 

帰ってから調べてみると、真田山公園の北西にある明星高校あたりに真田丸があったらしいです。

 

さらに北に長堀通りがあるのですが、ここに大坂城の最南の空堀があったそうです。ここは難攻不落といわれた大坂城の最大の弱点の場所であり、真田幸村はこの地に真田丸を造って大坂冬の陣で大坂城を守り抜いたわけです。

 

三光神社もそれほど大きな神社ではありませんでした。

 

三光神社の境内へ入ると、真田幸村の像があります。

 

安居神社では真田幸村は座ってましたが、三光神社の真田幸村は立っており、意気揚々と自軍を指揮している姿に見えます。

 

三光神社の真田幸村像

三光神社 真田幸村像

 

大阪冬の陣では、真田軍の活躍もあり、大阪方が終始押してましたから、幸村に勝算があったんでしょうね。

 

真田幸村は冬の陣では、当初、始めから大坂城で籠城するつもりはなく、城から出て徳川軍を迎え撃つ戦略だったという話を聞いたことがあります。

 

大坂方の有力者の反対があったため籠城作戦となったわけですが、実際、大坂城から出て徳川軍と戦っていたらどうなっていたんでしょうね。

 

ちなみに、史実の大坂冬の陣では、家康の大砲攻撃で大坂方を精神的にまいらせ、偶然にも淀君の近くに砲弾が落ち、和睦となりました。和睦後、大坂城は内堀まで埋められ、大坂方は敗戦となりました。

 

三光神社には、真田幸村の像の近くに真田の抜け穴と呼ばれる横穴があります。

 

この真田の抜け穴から豊臣秀頼を脱出させ、逃がしたというある説から真田の抜け穴と呼ばれるようになったようです。

 

三光神社の真田の抜け穴
三光神社 真田の抜け穴

 

以前観たNHKの番組では、この穴は徳川軍が大坂城を攻略するために掘ったという説を紹介してました。自分もおそらくこの説が有力では?と思ってます。

 

それにしても、三光神社の幸村像と安居神社の幸村像、対照的な姿です。

 

もしも、大坂の冬の陣で和睦せずにもう少し戦いが長引けば・・・ひょっとすると徳川軍の豊臣恩顧の武将たちが寝返り、歴史は変わり、安居神社に疲れ果てた幸村像がなかったかもしれません・・・。

 

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